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2015.02.22 Sun
作業しながら何となくテレビを点けてて…結構シッカリと観てしまいました。2013年の作品、テレビで観た時は2015年、2年前の映画です。あの頃は監督の引退作品と騒がれ観客の感想も分かれていたと記憶してます。アニメはそんなに観ないのであの頃の騒ぎも別段気にしていませんでした。

でも、テレビでちょい観している内にドンドン引き込まれてしまいました。作業中の手も止まって最後まで魅入ってしまいました。そして、観終わった感想は…「なんてコワい映画だ。クリエイター自身がこれを作品で言ってしまうのか!」と恐ろしくなりました。

監督自身の遺書のような…懺悔を書き連ねて最後に許してくれ、と言っている様に感じました。ひょっとしたらこの作品をUPした後で自殺でもしたんじゃないか!?とまで思わせられました。が、ご本人はご健勝のようですね。

なぜ、この映画を観てそこまで私が感じてしまったのか。でも、創作する事を人生の一番先頭に置いている立場から見たら同じような感想が出てくるんではないかと思います。

以下、長くなったので畳みます。私の勝手な感想と解釈を読みたい方だけ開いて下さい。そして開いて読んだからには文句は一切受け付けません。
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私が気になったのはヒロインの菜穂子です。都合のいい理想の女性像を連想された方も多いと思います。この作品に恋愛はいらないと感じた方もいると思います。でも、この作品に彼女は必要です。

彼女を生身の人間ではなく、主人公の夢の象徴と捉えると面白いです。出会いのシーンで菜穂子は使用人のお絹と一緒です。私はこの作品のクレジットにも登場しないこの端役をかなり大事だと思ってます。
なぜなら純愛物ならば菜穂子自身が怪我をして助けられればいい筈です。何故お絹の方が骨折してしまうのか。計算尺を返しに来たのは菜穂子ではなくお絹、主人公は最初お絹の来訪を待ち望んでいた描写です。でも会えなかった…。

お絹は現実の、現実感覚のある女性として描かれてます。助けられた事で菜穂子と共に恋心を抱いてもその後堅実にお嫁に行って子を生します。主人公は「現実」よりも「夢」を追う体質なので家庭を築くより夢の方を優先させるでしょう。再会出来なかったのは業かも知れません。

菜穂子を主人公の夢の象徴と見るならば、出会いは幼い少女なのは納得が行きます。主人公の夢も現実との狭間でまだ幼いからです。けれど再会時は立派な大人、お互い夢を忘れずに成長していてすぐに惹かれあいます。

菜穂子がかつての王子様だと気が付き、泉の側で逢瀬を願う所は、私は童話の「カエル王子」を連想しました。鞠を落とした幼い少女は一夜で王子と床を共にする大人の女性と成っています。泉での告白シーンはかなりエロチックですね。主人公が森の中の薄暗がりの一本道を何かに導かれるように歩いて行き、やがて開けた場所にキラキラと光るキレイな水を湛えた泉が現れ、そこに自分を待っている美しい女性…。その後の、通り雨でずぶ濡れの2人の描写はもう言わずもがなです。

さらに、菜穂子の父親に交際の承諾をもらうシーンは、それまで白っぽい服を着ていたのが鮮やかな赤い衣装に変ります。大人の女性に変貌した比喩でしょう。そして主人公は自分の夢を、生き生きと血の通った現実の物として手に入れたのです。

夢を叶える事は多大な犠牲を払う事でもあります。なんのリスクも無しに偉業を成した人はいないでしょう。また、夢自体が美しい物であっても内に毒をはらんでいる事が少なくありません。菜穂子は主人公と夢を見た時から自分の中に、夢と共に毒も成長させなければならないのです。

主人公の夢の象徴として描かれた菜穂子はその毒で死ななくてはなりません。「美しいところだけ見てもらう」と一身に全ての毒を引き受けて亡くなります。主人公は最後にそれに対して「ありがとう」と言います。

また違う見方も出来ます。1人の女性として菜穂子の成長を考えてみます。お絹と共に王子様に夢中になっている時は少女としてとても楽しい時期です。でも現実を見て成長するお絹に、菜穂子は同じ女として置き去りにされた感を持つでしょう。

私の勝手な妄想では、お絹は計算尺を返しに来た時にちょっとは期待を抱いていたのではないかと思います。しかし逢えなかった事で他の人との結婚を決断したのではないか、と思います。きっとそこで、菜穂子の方は自分も現実を見て成長すべきか、まだ夢を見続けていたいか悩んだ事でしょう。

絵を描いている菜穂子は夢を見続けている証です。また、病気のせいで夢を見続ける事を許されている状態だと思います。病気があるせいで、お絹のように早々に嫁がなくて済む、子供を産む事も今は免除されている…。療養中はずっと夢を見続けていられるのです。

なので私は菜穂子がどんな絵を描いているか非常に興味がありました。屋外で描いているので風景だと思いますが、定かではありません。さらに主人公との想いが叶った途端にそれまで描いていた絵をぞんざいに扱います。でもそれで良いのです。この先は本物の夢を見られるのですから。

ふわふわとした夢から覚めて菜穂子は現実を見つめます。治りたい、と。それはかつてお絹が行った道でした。普通の女性ならごく当然の気持ちです。病気をしっかり治して現実の夫婦生活を行いたいと思うでしょう。しかしやがて気が付きます。自分が現実を歩こうとすればするほど夢を見ている恋人と離れてしまうと…。病気は治るかも知れないがその時にはもう同じ夢は見られないのだ、と悟ると死を覚悟して戻ります。この辺、狂気です。

現実を選んだお絹との決別です。自分の命と引き換えに夫の夢を選びます。

ひとしきり蜜月を過した後、菜穂子は姿を消します。療養所に戻ったのかこれも定かではありません。また私の勝手な妄想は、ひょっとしたら子供を宿したのではないか、と感じました。夫を現実に引き戻さない為に身を隠したのかもと思いました。こんな妄想をするのは私がオバサンだからでしょう。どうしても…何が何でも物語を現実に引き戻したくてたまりません。

菜穂子が病気じゃなかったらどんな物語になったでしょう。安っぽい内助の功とか夫婦善哉などは観客も観たくないに違いありません…。
そして無情にも菜穂子は死に、主人公の夢は歪んだ形で達成されます。…これこそが大いなる創作の現実です。…恐ろしいですね。

私はファンタジーが苦手です。さらに生半可なファンタジーは大っ嫌いです。私にとってファンタジーは現実の横に存在しなくてはなりません。一時別な世界に行ってしまっても、ちゃんと元の場所に帰って来なくてはなりません。これは私の嗜好の問題なので意見しないでくださいね。

ジブリ映画はテレビでしか観ませんが子供の観る物との概念が抜けません。大人が観るに耐えるアニメ映画はずっと難しいと思ってました。大人が観るのならアニメじゃない映画の方ががいいだろう…と思ってました。

でも、この作品を見た後は…まだまだだと思うけど、大人の鑑賞に堪えるアニメ映画のジャンルがこの先確立するかも知れない、と思いました。


…この記事を映画レビューのカテゴリーに入れましたが、絵は描けませんでした。そんなに好みではないアニメを自分の絵で描くキャパシティは無いです…(´Д`υ)

↓でもお決まりで貼っときます
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